「戦争の終わり」が見えない — 2026年4月の現状
No End in Sight — The State of Play in April 20262023年10月7日、ハマスによるイスラエル南部への奇襲攻撃が起きた。1,200人の命が奪われ、251人が人質として連行された。この日を境に、ガザは歴史上類を見ない規模の軍事作戦にさらされることになる。
2025年1月19日に最初の停戦が成立したが、イスラエルは同年3月18日に停戦を破棄して攻撃を再開した。2025年10月10日に第2次停戦が発効したものの、イスラエル軍はガザ領土の半数以上を制圧し続け、ほぼ毎日空爆や砲撃が続いている。国連人道問題調整事務所(OCHA)は、停戦合意下でも「数十人規模のパレスチナ人が毎日殺害されている」と報告した。
停戦は「戦闘の一時停止」に過ぎない。戦争の構造的原因が取り除かれていない以上、暴力は繰り返す。
2026年1月末、最後の人質の遺体が返還され、人質問題は一区切りを迎えた。しかしイスラエルはハマスの武装解除を停戦継続の条件として掲げ、ハマスは「イスラエル軍の完全撤退なしに武装解除はない」と拒否した。「停戦フェーズ2」の交渉は膠着したままだ。
本稿では「なぜこの戦争が終わらないのか」を、政治・軍事・外交・経済の5つの構造から解明する。
理由1 — ネタニヤフの「個人的な戦争」
Reason 1 — Netanyahu's Personal Warこの戦争を理解する上で最も見落とされがちな要素が、ネタニヤフ首相の個人的な法的危機だ。
ネタニヤフは2019年、イスラエル史上初めて在任中に刑事起訴された首相となった。「ケース1000(贈収賄)」「ケース2000(メディア操作)」「ケース4000(通信会社との癒着)」の3件で詐欺・背任・収賄などの罪に問われており、有罪なら禁錮刑の可能性がある。
2023年10月7日の奇襲前、ネタニヤフの裁判は最終局面に差し掛かっていた。奇襲後、イスラエルは戦時下に入り、裁判は繰り返し延期された。2024年12月に裁判は再開されたが、首相自身は「7つの前線で戦争を戦いながら週3日出廷することになる」と発言。戦時体制の継続は、法廷での最終判決を遠ざける効果をもたらしている。
イスラエルでは、有罪判決が確定しても首相が即座に辞任する義務はない(最高裁決定による)。しかし連立が崩壊すれば選挙となり、ネタニヤフは首相の座を失う。首相在任中は政治的免責の「事実上の保護」がある——このことが、戦争の継続と連立維持をネタニヤフ個人の最優先事項にしている。
ドキュメンタリー映画『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』(The Bibi Files)は本国イスラエルでは上映禁止になった作品だが、日本では2026年4月に記録的なヒットを記録した。この映画が示す通り、戦争と個人的な権力維持は不可分に絡み合っている。
理由2 — 「停戦すれば政権崩壊」という連立の罠
Reason 2 — Coalition Trap: Ceasefire Means Government Collapseネタニヤフが戦争をやめられない第二の理由は、連立政権の構造的な矛盾だ。
現在の連立政権には、ベザレル・スモトリッチ財務相(宗教シオニズム党)とイタマル・ベン=グビール前国家安全保障相(オツマ・イェフダイト党)という2人の極右政治家が参加している。両者はガザのパレスチナ人のエジプトへの強制移送、ガザへのユダヤ人入植地再建、ヨルダン川西岸のイスラエルへの併合を主張してきた。
ベン=グビールは、2025年10月の停戦合意に際して「テロリストへの降伏だ」と述べ、連立を一時離脱した。スモトリッチは「停戦後もハマスが武装解除しなければ戦争を再開する保証を求める」と要求した。オーストラリア・英国・カナダ・ニュージーランド・ノルウェーは2025年6月、両者を対パレスチナ人暴力の扇動を理由に制裁対象にした。
ネタニヤフ連立は120議席のクネセト(国会)で62〜68議席を保有する。ベン=グビールが連立を離脱した後も62〜63議席を維持しているが、スモトリッチまで離脱すれば過半数を下回り、政権崩壊につながる。スモトリッチはガザの完全占領とパレスチナ国家の否定を「レッドライン」としており、「二国家解決」に向かう停戦交渉はこのラインを越えることになる。
ネタニヤフの「停戦できない理由」は、ハマスではなく自らの連立政権にある。これが最大の構造的矛盾だ。
理由3 — ハマスの「消耗戦」戦略と人質レバレッジ
Reason 3 — Hamas's Attrition Strategy and Hostage Leverage停戦を阻む第三の壁は、ハマス自身の戦略的計算だ。
10月7日の奇襲は、イスラエルに壊滅的な報復を招くことをハマスの指導部は承知していたと複数の分析が指摘している。ハマスの戦略的目標は軍事的勝利ではなく、(1)イスラエルに国際的な非難を集中させること、(2)アラブ諸国との「アブラハム合意」正常化を止めること、(3)パレスチナ問題を国際議題に戻すこと、の3点だとされる。
ハマスの軍事部門(カッサム旅団)は2026年4月5日、「武装解除の要求は受け入れられない」と明言した。ハマスにとって武器は交渉カードであり、武装解除は組織の消滅を意味する。「イスラエル軍の完全撤退とパレスチナ国家の樹立が約束されて初めて武装解除を議論できる」という立場を崩していない。
イスラエル軍はガザの地下トンネル網「メトロ」の破壊に膨大なリソースを投入しているが、2年半が経過しても完全な制圧には至っていない。広島・長崎に投下された原爆7個分に相当するとも言われる爆弾量にもかかわらず、ハマスの軍事能力は維持されている。「ハマスの完全壊滅」というイスラエルの戦争目標そのものが、達成不可能なゴールポストとして機能し、戦争を無限に続ける口実になっている。
理由4 — 人道危機の数字が示す「破滅の規模」
Reason 4 — Catastrophic Scale of the Humanitarian Crisis2023年10月から2026年4月までに何が起きたのか、数字で見ると戦争の規模が浮かび上がる。
ガザ保健省の発表では、2026年初頭時点で確認された死者は7万人超。うち80%以上が民間人(イスラエル軍の機密データに基づく英国報道)。ランセット誌の推計では、直接の死者に加え病気・栄養失調・医療崩壊による「超過死亡」を含めると18万6,000人以上の命が失われた可能性がある。確認された死者の44%が子ども、26%が女性だった。
ガザの病院の90%以上が機能停止または完全破壊。学校・住宅の大半が損壊。国連の推計では、ガザを戦前の状態に再建するには350億〜400億ドル、14〜16年かかるとされる。
イスラエルはガザへの食料・医薬品・燃料の搬入を繰り返し制限した。国際刑事裁判所(ICC)は2024年11月、ネタニヤフとガランツ元国防相に「人道支援の意図的な剥奪」を含む戦争犯罪の容疑で逮捕状を発布した。これによりネタニヤフは主要民主主義国で逮捕・拘束されるリスクを抱えながら首相を続けている。
国際法上の訴追リスクが、ネタニヤフをさらに「戦争継続」へと追い込む逆説がある。停戦して「元首相」となれば、国際刑事裁判所に引き渡される圧力にさらされうる。
理由5 — 米国・イランの「代理戦争」と地域化する紛争
Reason 5 — US-Iran Proxy Conflict and Regional Escalationガザの戦争が終わらない第五の理由は、この紛争が「地域戦争」に発展していることだ。
2025年、イスラエルとイランは直接的な軍事交戦(「12日間戦争」とも呼ばれる)に至った。イスラエルはイランの核施設への攻撃を行い、イランは弾道ミサイル・ドローンで報復した。これによりガザ和平交渉の仲介役だったカタールとエジプトの立場が複雑化し、停戦交渉が停滞した。
イランが支援するレバノンのヒズボラは、イスラエルの2024年の空爆でナスラッラー師を含む幹部の多くを失い、大きく弱体化した。イエメンのフーシー派は紅海でのイスラエル・米国向け船舶への攻撃を続けており、民間船舶の紅海回避が世界のサプライチェーンを直撃している。
トランプ政権は2026年1月に「ガザ平和委員会」と「ガザ国家移行委員会」の設立を発表し、表向きは停戦後の統治体制の構築に乗り出している。しかし同時に、イスラエルへの武器供与は継続しており、米国はガザの戦闘を可能にする軍事的・外交的保護者であり続けている。
サウジアラビア・UAE・ヨルダンなどのアラブ諸国は停戦を求める声明を出しているが、ハマスとの連帯を示すことにも慎重だ。停戦後のガザ統治に誰が関与するかをめぐる利害の対立が、和平への積極的な仲介を難しくしている。
日本への影響 — エネルギー・経済・外交
Impact on Japan — Energy, Economy, and Diplomacy中東から遠く離れた日本にとって、この戦争は「対岸の火事」ではない。
日本のエネルギー輸入の約90%は中東を通るホルムズ海峡経由だ。日本総研の試算では、イラン・イスラエル衝突の激化によりホルムズ海峡が封鎖される最悪のシナリオでは、原油価格が140ドル/バレルに急騰し、日本のGDPが3%下押しされる可能性がある。フーシー派による紅海攻撃で欧州からの輸送コストはすでに上昇しており、日本の輸入物価への影響も無視できない。
紅海経由のコンテナ船が大回りを強いられることで、自動車部品・電子部品の輸送リードタイムが伸び、在庫管理コストが増加している。日本の製造業にとってはチャイナプラスワン戦略の中東版リスクが現実のものとなっている。
日本政府はガザへの人道支援として累計で億単位のドル規模の拠出を実施。UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)への拠出が凍結された際には、日本は独自ルートでの支援継続を模索した。外交的には、米国のイスラエル支持と距離を置きながら「人道的停戦」を求める立場を維持している。
日本はエネルギーの安全保障という点で、中東の安定に誰よりも依存している国の一つだ。ガザ戦争の行方は、日本人の電気代・ガソリン代・物価に直結する問題でもある。
「出口」はあるのか — 5つのシナリオ
Is There an Exit? — Five Scenarios戦争はどのように終わるのか。現実的なシナリオを5つに整理する。
最も現実的なシナリオ。「ガザ国家移行委員会」が機能し始め、ハマスを排除した形での暫定統治が成立。イスラエル軍は段階的に撤退するが、安全保障上の「バッファーゾーン」を維持する。パレスチナ国家問題は棚上げのまま。確率:中(現在の交渉の方向性)
裁判の有罪判決確定、または選挙でネタニヤフが敗北する場合。イスラエルの新政権が本格的な停戦交渉に乗り出す可能性がある。2026年10月の総選挙が鍵。確率:低〜中(不確実性大)
形式上の停戦は維持されるが、イスラエル軍が事実上ガザを占領し続ける「凍結紛争」状態。人道支援は細々と続くが、ガザの再建はほぼ進まず、次世代の武装勢力が育つ温床になる。確率:高(現在の延長線上)
イランとの直接衝突が激化し、ホルムズ海峡の機能不全や湾岸諸国を巻き込む大規模紛争に発展する最悪のシナリオ。確率:低〜中(イラン核問題の進展次第)
中東全体の外交的解決(サウジ・イスラエル国交正常化とパレスチナ国家の樹立をセット)。トランプ政権はパレスチナ国家を拒否しており、2026年時点では非現実的。確率:極めて低
この戦争の本質は「誰も完全には終わらせたくない」という構造にある。ネタニヤフには終わらせる動機がなく、ハマスには武装解除の意思がなく、米国はイスラエルへの軍事支援を止められない。出口は「政治的意志」の問題であり、その意志が生まれる条件は今のところ見えない。