業界の全体像 — サブセクター別の主要プレイヤー
Industry Overview — Major Players by Sub-sector日本の素材産業は、化学・鉄鋼・非鉄金属・セメント・ガラスなど多岐にわたるサブセクターで構成され、製造業全体の基盤を支える川上産業である。経済産業省によれば、化学産業だけで出荷額は約40兆円(全製造業の約14%)、雇用は86万人を支える巨大産業だ。鉄鋼業も含めた素材産業全体では、日本のGDPに対する寄与は極めて大きい。
化学セクターでは、信越化学工業が塩化ビニル樹脂と半導体シリコンウエハーで世界トップクラスのシェアを誇り、2025年3月期の純利益予想は約4,700億円と高い収益力を維持する。三菱ケミカルグループは2025年3月期のコア営業利益が前期比20.1%増の2,500億円を見込み、石化事業の構造改革を進めながらスペシャリティ材料への転換を加速している。住友化学は農薬・医薬品に強みを持つが、石化部門の不振が長期化し、2024年4-12月期にようやく黒字転換を果たした段階だ。
鉄鋼セクターでは、日本製鉄が粗鋼生産量で国内首位、2025年3月期の売上収益は8兆6,955億円を計上した。JFEホールディングスは連結粗鋼生産量2,320万トンだが、来期は海外市況低迷と通商リスクを織り込み2,100万トン程度への減産を見込む。両社とも中国の過剰生産に起因する国際市況の悪化に直面している。
非鉄金属では、住友金属鉱山がニッケル精錬と電池材料で存在感を示し、2025年3月期の売上高は1兆5,933億円(前期比10.2%増)を記録した。セメント分野では太平洋セメントが国内最大手だが、売上高は前期比18%減の7,082億円と内需縮小の影響を受ける。ガラス分野ではAGCが建築用・自動車用ガラスに加え、半導体製造用のEUVマスクブランクスなど高機能材料にシフトしている。
ビジネスモデル — B2Bコモディティと高機能材料の構造
Business Model — B2B Commodity vs Specialty Materials素材産業のビジネスモデルは、大きく汎用品(コモディティ)と高機能品(スペシャリティ)の二層構造に分かれる。汎用品は大量生産・低マージンの「ボリュームビジネス」であり、エチレン・プロピレンなどの基礎化学品や、建設用の普通鋼がこれに該当する。一方、高機能品は少量生産・高マージンの「バリュービジネス」で、半導体用フォトレジストやEV用正極材などが代表例だ。
この二層構造は企業の収益性を大きく左右する。信越化学は塩ビ樹脂(汎用品)と半導体シリコンウエハー(高機能品)の両方を手がけるが、シリコンウエハー事業の利益率が全体の収益力を押し上げている。対照的に、住友化学は石化部門(汎用品)の赤字が農薬・医薬品(高機能品)の利益を相殺し続けてきた。総合化学各社が石化事業の統合・縮小を進める背景には、このマージン格差がある。
鉄鋼業でも同様の構造が見られる。日本製鉄やJFEは建設向けの普通鋼から、自動車向けの高張力鋼板(ハイテン)や電磁鋼板といった高機能鋼へのシフトを進めている。特に電磁鋼板はEVモーター向けに需要が急増しており、高い付加価値を持つ成長分野である。ただし、高機能鋼への転換は設備投資が膨大であり、投資回収に時間がかかるリスクも伴う。
垂直統合も素材産業の重要な特徴だ。住友金属鉱山は「鉱山開発→製錬→材料加工」という川上から川中への一貫体制を構築している。ニッケル鉱山を自社保有し、製錬を経て電池用正極材まで手がけることで、原料価格変動のリスクを内部化している。信越化学も金属シリコンからシリコンウエハーまでの垂直統合を進めており、これが安定的な高収益の源泉となっている。
鉄鋼業の焦点 — 日本製鉄のUSスチール買収と世界的過剰生産
Steel Industry Focus — Nippon Steel's US Steel Acquisition & Global Overcapacity2025年の鉄鋼業界で最大のニュースは、日本製鉄によるUSスチールの買収完了だった。当初バイデン政権が安全保障上の懸念から阻止したこの149億ドル(約2.2兆円)の大型買収は、2025年6月13日にトランプ大統領が国家安全保障協定付きの大統領令を発出し一転承認。同年6月18日に買収が完了した。日本製鉄は2028年までに約110億ドルの追加投資を約束し、USスチールの本社はピッツバーグに維持、取締役の過半数は米国市民とする条件が付された。さらに米政府に「ゴールデンシェア」が発行され、主要な経営判断に大統領の同意が必要となる異例の枠組みだ。
この買収の背景には、日本国内の鉄鋼需要の構造的縮小がある。日本鉄鋼連盟によれば、2026年度の国内鋼材需要は前年度比横ばいにとどまり、土木・造船・産業機械でわずかな微増が見込まれるものの、住宅着工の減少と建設業の人手不足が需要を抑制している。日本の粗鋼生産量は57年ぶりの低水準に落ち込んでおり、国内市場だけでは成長が見込めない状況だ。
世界的な鉄鋼過剰生産能力問題はさらに深刻である。鉄鋼需要と生産能力のギャップは2023年の5億5,100万トンから2026年には6億3,000万トンに拡大すると予測され、2016年以来最大の水準に達する。この過剰生産の大部分は中国に起因しており、中国では内需がピークアウトした結果、過去最大規模の鉄鋼輸出が続いている。
中国の安値輸出に対し、各国は防衛策を強化している。中国商務部は2026年1月から一部鉄鋼製品の輸出を許可制に移行したが、日本鉄鋼連盟は「輸出削減や価格回復には実効性がない」と指摘している。日本政府は迂回輸出への対策としてアンチダンピング関税法の改正を2026年度税制に盛り込む方針だが、G20でダンピング迂回防止制度がないのは日本とインドネシアだけという深刻な制度的遅れも浮き彫りになっている。
化学産業 — 半導体材料とEV電池材料が成長を牽引
Chemicals — Semiconductor & EV Battery Materials as Growth Drivers日本の化学メーカーが世界的な競争優位を持つ分野が半導体材料だ。フォトレジスト(感光材)では日本勢が世界供給の約8割を占め、東京応化工業がEUVフォトレジストで世界シェア約25%のトップを走る。信越化学はEUV・ArFなど先端フォトレジストでシェア40%超を目指し、群馬県伊勢崎市に約830億円を投じて新工場を建設中(2026年稼働予定)。東洋合成工業はフォトレジスト原料で世界シェア約7割を独占するニッチトップ企業だ。
EUVフォトレジスト市場は2025年に約6.5億ドル規模と推定され、2035年には約28億ドルに達する見通し(年平均成長率約18.5%)。半導体の微細化が進む中、次世代EUV(High-NA EUV)向けに国内化学5社が新材料の開発で競合しており、約30年ぶりのレジスト材料刷新が進行中だ。シリコンウエハーでは信越化学とSUMCOの2社で世界シェアの約57%を占め、AI向けロジックや高帯域幅メモリ(HBM)向けの300mmウエハー需要が堅調に推移している。
EV電池材料も化学メーカーの重要な成長領域である。住友金属鉱山は月産5,000トンの正極材生産体制を持ち、2026年3月までに愛媛県新居浜工場で月産2,000トンを追加する投資を進めている。さらに2031年3月までに月産1万5,000トン体制への拡大を検討中だ。特筆すべきは、住友金属鉱山とトヨタが2025年10月に全固体電池用正極材の量産に向けた共同開発契約を締結したことだ。独自の粉体合成技術を活かした「高耐久性正極材」を新たに開発し、2027〜2028年のBEV搭載を目指している。
パナソニックエナジーと住友金属鉱山はリチウムイオン電池からのニッケルリサイクル事業も開始しており、使用済み電池から回収した硫酸ニッケルを正極材製造に再利用する循環型サプライチェーンを構築している。中国のCATLやBYDが電池材料の内製化を進める中、日本勢は材料の品質と信頼性で差別化を図る戦略だ。
課題 — 脱炭素・エネルギーコスト・中国競争・内需縮小
Challenges — Decarbonization, Energy Costs, Chinese Competition & Declining Domestic Demand素材産業が直面する最大の課題はカーボンインテンシブな生産プロセスの脱炭素化だ。日本の鉄鋼業は高炉(BF-BOF)方式が主流で、コークス(石炭)を還元剤として使用するため、鉄鋼業だけで日本の産業部門CO2排出量の約40%を占める。化学産業もナフサ分解によるエチレン生産など、化石燃料への依存度が高い。2026年度から本格始動する日本の排出量取引制度(GX-ETS)は、これら素材産業に直接的なコスト増をもたらす。
エネルギーコストの上昇も深刻だ。電気炉(EAF)への転換は脱炭素の有力な選択肢だが、日本の電力コストは欧米と比較して割高であり、電炉の競争力を損なう要因となっている。化学産業でもナフサ価格の変動が収益を直撃し、石化部門の赤字体質を固定化させている。日本の素材メーカーは、高い技術力を持ちながらも、エネルギーコストの構造的不利に苦しんでいる。
中国との競争は全セクターに及ぶ。鉄鋼では前述の過剰生産・安値輸出に加え、化学分野でも中国の石化設備の大量増設が汎用化学品の価格を押し下げている。セメントでも中国の過剰生産能力がアジア市場に流出し、価格競争が激化している。日本勢は高機能品にシフトすることで差別化を図るが、中国メーカーの技術追い上げは速く、かつての「安かろう悪かろう」のイメージは通用しなくなりつつある。
国内需要の構造的縮小も見逃せない。日本の人口減少と建設投資の伸び悩みにより、鉄鋼・セメント・板ガラスなど内需型の素材需要は長期的に減少トレンドにある。太平洋セメントの売上高が前期比18%減となったのは象徴的だ。住宅着工戸数の減少、公共事業の予算制約、建設業の人手不足が三重苦として素材需要を圧迫している。
将来展望 — グリーンスチール・ケミカルリサイクル・半導体材料サプライチェーン
Future Outlook — Green Steel, Chemical Recycling & Semiconductor Material Supply Chain鉄鋼業の脱炭素化で最も注目されるのが水素還元製鉄(直接還元鉄・DRI)だ。日本政府はグリーンイノベーション基金から4,499億円を上限に「製鉄プロセスにおける水素活用」プロジェクトを支援している。日本製鉄は「Super COURSE50」技術の実証を進め、2026年1月から東日本製鉄所君津地区の第2高炉で水素系ガス吹込みの実機試験を開始した。さらに波崎研究センターでは小型試験シャフト炉(1t/h)の建設が進む。JFEスチールも2024年12月から東日本製鉄所蘇我地区で還元鉄加炭挙動のベンチ実験炉を稼働させている。
日本製鉄は「GXスチール」ブランドでCO2削減量を経済価値化する国内市場の形成にも取り組んでおり、経済産業省は2030年までにグリーン鋼材の供給量を1,000万トンに引き上げる目標を掲げている。ただし、水素還元製鉄の本格的な商業化には大量の「グリーン水素」の安定供給が不可欠であり、水素インフラの整備が鍵を握る。
ケミカルリサイクルは化学産業の脱炭素戦略の柱だ。2025年に稼働を開始した大規模ケミカルリサイクルプラントが2026年に安定稼働に入り、供給量の飛躍的増加が見込まれる。市場は食品・医療用途の高付加価値品(ケミカルリサイクル由来の「プレミアム価格」材料)と、土木・物流用途の汎用品(マテリアルリサイクル由来の低コスト材料)に二極化する構図だ。化学各社はナフサ由来からバイオマス由来・リサイクル由来への原料転換を進めているが、グリーン製品は従来品より割高であり、マスバランス方式の普及が課題となる。
半導体材料のサプライチェーン強靭化は地政学的にも重要度が増している。日本がフォトレジストで世界シェア8割、シリコンウエハーで約6割を占める現状は、裏を返せば供給途絶リスクが世界の半導体製造に直結することを意味する。米中対立の激化を受け、日本政府は半導体材料メーカーの国内増産を支援するとともに、TSMC熊本工場のような最先端ファブの国内誘致と材料サプライチェーンの一体的な強化を進めている。信越化学の伊勢崎新工場(2026年稼働)やSUMCOの新潟・台湾での増産投資は、この戦略の具体化である。
2026年度から本格化するカーボンプライシング(GX-ETS)と2028年開始予定の化石燃料賦課金は、素材産業の事業環境を根本的に変える可能性がある。炭素コストの内部化は、高炉メーカーのグリーンスチールへの転換を加速させ、化学メーカーのバイオマス・リサイクル原料へのシフトを促す。短期的にはコスト増だが、中長期的にはカーボンフリーな素材を供給できる企業が「グリーンプレミアム」を享受し、競争優位を確立する構図が見えてきている。