私たちは毎日「話す」「聞く」「読む」「書く」という行為を無意識にこなしています。でも考えてみると、なぜ「犬」という音の並びが、あの四本足の動物を指すのでしょうか?なぜ子どもは誰に教わらなくても文法的な文を作れるのでしょうか?言語学は「人間の言語とはどういう仕組みか」を科学的に問う学問です。本講義では音・語の構造・文の組み立て・意味・そして社会との関係まで、言語を多角的に見ていきます。
ねらい — 言葉の音はどう作られ、どんな体系をなしているのでしょうか。
音声学は「人間が言語音をどうやって作り、聞くか」を研究します。口・舌・唇・声帯など発声器官の動きで、すべての人類言語の音を記述できます。この記述に使われるのがIPA(国際音声記号)で、たとえば日本語の「さ」は [sa]、英語の「th」は [θ] や [ð] と書きます。一度覚えると、見たことのない言語の発音もある程度読めるようになる便利な道具です。
音韻論は「その言語で意味の違いを生む音の対立」を研究します。日本語では「ら行」の音は一つですが、英語では l(lung)と r(rung)が別の「音素(おんそ)」として扱われます。だから日本語話者は英語のlとrの区別が難しい——これは耳の問題ではなく、母語の音体系が違うせいです。
ねらい — 単語は、さらに小さな意味のかたまりに分解できます。
「不可能性」という語を分解してみると、「不(否定)」+「可能(できる)」+「性(〜な性質)」の三つの部品に分かれます。この「意味を持つ最小の単位」を形態素(けいたいそ)と呼びます。語の意味の中心になる「語幹」と、意味や文法機能を付け加える「接辞(接頭辞・接尾辞)」を区別することが形態論の基本です。
世界の言語はこの形態素の使い方で大きく三種類に分かれます。日本語やトルコ語は「語幹+接辞」をどんどん重ねていく「膠着語(こうちゃくご)」。ラテン語やロシア語は語尾の変化で文法を表す「屈折語」。中国語は語の形がほぼ変化せず、語順で意味を伝える「孤立語」です。日本語が英語と文法的に大きく違うのも、この違いが一因です。
ねらい — 「犬が猫を追いかけた」と「猫が犬を追いかけた」は語順だけで意味が逆転します。この「語が結びつく規則」を研究するのが統語論です。
統語論は語がどのように組み合わさって文になるかを研究します。アメリカの言語学者チョムスキーは1950〜60年代に「生成文法」を提唱し、「人間の脳には言語を生成するための規則が生まれつき組み込まれている(普遍文法)」と主張しました。これは「子どもがほぼ教わらずに文法を習得する」という事実を説明しようとした革命的な考え方です。
統語論の分析では「文をどう分解するか(構成素分析)」が重要です。「きれいな花を見た」という文は「きれいな+花(名詞句)」と「見た(動詞句)」に分かれます。この階層的な構造を樹形図(木構造)で可視化するのが基本的な手法です。見た目はシンプルですが、どんな複雑な文もこの分析で解きほぐせます。
ねらい — 「言葉の意味」には、辞書に載っている意味と、文脈で伝わる意味の二種類があります。
意味論は語と文の「文字通りの意味」を研究します。たとえば「独身男性」という語の意味は「結婚していない成人男性」と論理的に定義できます。こうした真偽が判定できる条件で意味を定義するのが「真理条件意味論」です。また「桜」という語には辞書の意味だけでなく、「春」「別れ」「日本」といったイメージ(連想的意味)も付随しています。意味論はこの両方を扱います。
語用論は「文脈の中で言葉が実際にどう使われ、何を伝えるか」を研究します。友達に「今何時?」と聞かれて「3時だよ」と答えるのは、単に時刻を伝えているだけです。でも「もう3時だよ!」と言えば「急いで!」という意味になる。これが「含意(がんい)」——字義通りではなく文脈から推測される意味です。オースティンはさらに「お前を許す」という発言が実際に「許す」という行為そのものである、と気づき「言語行為論」を作りました。
ねらい — 同じ日本語でも、友達と話すときと就職面接では言葉が変わりますよね。これが社会言語学のテーマです。
社会言語学は「言語と社会の関係」を研究します。地域によって言葉が違う(方言)、年代や性別で話し方が違う、バイリンガルの人が場面によって言語を切り替える(コードスイッチング)——こうした現象を観察・分析します。たとえば関西弁と標準語は「どちらが正しい日本語か」ではなく、それぞれの社会的文脈で機能する対等な変種(バリエーション)です。
現在、世界には約7000の言語がありますが、その半数以上が今世紀中に消滅すると予測されています。小さな民族の言語が話者の高齢化と若者の都市移住で急速に失われているためです。言語が消えるということは、その言語でしか表現できなかった知恵・文化・世界観が失われることを意味します。こうした言語を記録・保存するフィールドワークが、現代言語学の重要な使命の一つです。
世界の言語の半数以上が今世紀中に消えるかもしれません——言語を記録し保存することは、人類の知的遺産を守ることと同じです。