「自分は特定の宗教を信じていない」という人も、お正月に初詣をしたり、お盆に先祖の墓参りをしたりするのが日本の日常です。宗教は「遠い話」ではなく、私たちの生活・政治・価値観の深いところに根ざしています。宗教学は特定の宗教を布教するのではなく、「宗教とは何か」を比較・歴史・社会の視点から学術的に問う学問です。本講義では宗教の定義から世界の主要宗教、そして現代社会と宗教の関係まで順に学びます。
ねらい — 「何を信じるか」だけが宗教ではありません。儀礼・共同体・聖なる感覚の三つが絡み合っています。
「宗教」を一言で定義するのは実は難しい問題です。フランスの社会学者デュルケムは「聖(せい)なるもの——日常とは切り離された特別な領域——と、俗(ぞく)なる日常との区別が宗教の根本だ」と言いました。宗教学者のエリアーデは「聖なるものが現れる体験」を中心に据え、アメリカの哲学者ジェームズは「個人が超越的なものと出会う主観的な経験」に注目しました。どれも「宗教の一面」を捉えていますが、どれか一つでは足りません。
現代の宗教学では、宗教を三つの層に分けて考えるのが便利です。教義(信仰:何を信じるか)、儀礼(実践:何をするか)、共同体(組織:誰と共にいるか)の三層です。たとえばキリスト教なら「神の愛を信じる(教義)」「毎週日曜に礼拝に行く(儀礼)」「教会というコミュニティに属する(共同体)」の三つが組み合わさっています。どれかが崩れると、宗教としての機能も変わります。
ねらい — 世界の約80億人の多くが何らかの宗教を持っています。主要な宗教をざっくり押さえましょう。
最も信者の多い宗教は「アブラハムの宗教」と総称される三つです——ユダヤ教(約1500万人)・キリスト教(約24億人)・イスラム教(約19億人)。これらは同じ神(アブラハムの神)を信じ、古代中東で生まれました。それぞれ聖書・新約聖書・コーランを中心の経典とします。「3宗教は似ているのになぜ対立するのか」は、歴史学・宗教学の重要なテーマです。
もう一方の大きな潮流はインドで生まれた宗教です。ヒンドゥー教(約12億人)は多神教で輪廻(りんね)と解脱(げだつ)が中心的な概念、仏教(約5億人)はゴータマ・シッダールタ(お釈迦様)の教えで東アジア・東南アジアに広まりました。これらに加え、日本の神道、中国の儒教・道教、シク教、ジャイナ教など、世界には多様な宗教的伝統が共存しています。
ねらい — 宗教は社会を作り、社会もまた宗教を変えます。
社会学者のマックス・ウェーバーは名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)で、プロテスタントの「働くことは神への奉仕だ・倹約すべきだ」という倫理観が、資本主義の発展に貢献したと論じました。信仰が経済行動を変えるという驚きの視点です。デュルケムは宗教の儀礼が「みんなで同じことをする」ことで社会の結束を生む機能を持つと分析しました。
現代社会学では「近代化が進むほど宗教は衰退する(世俗化論)」という予測と「いや、宗教は形を変えて復活している(脱世俗化論)」という反論が対立しています。ヨーロッパでは確かに教会への出席率が低下していますが、中東や東南アジアでは宗教が政治と強く結びついています。日本でも「宗教は信じない」と言いながら神社・仏閣に参拝する人が多く、単純な「世俗化」では説明できない現象が続いています。
ねらい — 「現代は宗教の時代ではない」と思われがちですが、実は宗教は今も世界の政治・文化・紛争の中心にあります。
現代世界では宗教は依然として大きな力を持っています。イスラム原理主義、アメリカのキリスト教保守派と政治の関係、イスラエル・パレスチナ問題の宗教的側面——これらはすべて現代の宗教と政治の絡み合いです。また、既存の宗教組織に属さないが「何か大きなものを信じたい」という「スピリチュアリティ(個人的な霊性の追求)」も世界的に広がっています。
日本社会はユニークです。国際調査では「信仰を持たない」と答える日本人が約6割と世界で最も高い数字の一つですが、同時に初詣には毎年8000万人以上が訪れ、お盆・お彼岸の墓参りも当然の習慣です。これは「信仰」と「慣習・文化としての宗教行為」が切り離されているからで、「日本人は宗教を持たないのではなく、宗教と独特の距離感を持っている」と理解する方が正確です。